Last Updated on 2024年6月24日 by admin
江東区出張マッサージを毎月利用して分かった事は、身体は仕事をしていくための大事な柱だという事です。マッサージをする前までは限界まで耐え抜いても睡眠をとれば回復すると思っていました。しかしそれは大きな誤解で身体の疲労は肉体的なものだけではなくて、精神的な疲労も同時に支えているんだという事を施術を通して理解する事が出来ました。予約した当日も、仮眠が取れない日々が続いていて、ストレス面でも影響が出ていましたし、睡眠だけでは回復しない程の疲労が何重にも膨れ上がっているように思いました。定期的に利用しているお店があり、いつもそこで予約を取っているのですが、今回は長時間のオイルマッサージとフェイシャルケア、フットケアといった一通りのコースをしてもらう事になりました。担当してくれた方もベテランのチーフの方で、手の動かし方や僅かな力具合はさすがだと感じました。マッサージを受ける前から眠気が来ていたので「確実に寝られる」と思っていましたが、意外にも寝る事なく、施術も終わりを向かえていました。ベテランスタッフだからこその貴重な体験談や苦労話も聞く事が出来たので、マッサージと共に自分の励みにもなったように思います。
江東区の洲崎神社は江戸時代からの名所
江東区木場6丁目の市街地のなかに、洲崎神社という江戸時代から続く隠れた名所があります。東京メトロ東西線の木場駅からは歩いて2分程度であり、木場公園や深川ギャザリアなど現代の名所も間近なところです。この洲崎神社は、徳川綱吉の時代に江戸城内の紅葉山にあった弁財天を起源としています。綱吉の生母である桂昌院が崇敬し、徳川家の守護ともなっていたものでしたが、元禄13(1700)になり、木場の地に遷座してきました。当時の木場の地域は、江戸湾の海岸線が伸びていた場所であり、当時の社殿は海に浮かぶような形で建てられていたので、江戸の外れの名所の一つとなっていました。現在の洲崎神社で見られる朱塗りの柱が印象的な社殿は、昭和43年に再建がされたものです。社殿の本殿の内部には、弘法大師空海作だと伝わっている御神体が安置されているとのことです。洲崎神社の社殿とは別に、水の中に浮かぶ弁財天があって、江戸時代当時の様子を垣間見ることができます。洲崎神社の境内社として、豊川稲荷と於六稲荷神社という2つの稲荷があります。また、境内には波除碑という古びた石碑が立っているのですが、これは寛政3年(1791)に高潮で多数の犠牲者が出た時のものです。